日本滞在10年目。いつか日本語教師になることを目指して―日系ハードウェア会社勤務 黄千桂さん

今年で日本滞在10年目となる黄千桂さん。日本の大学に進学し、そのまま日本で働かれて現在は日系ハードウェア会社に勤務されています。学生時代から抱く「日本語教師になる」という夢を現在も追いかけ続けられている、とても芯の強い方でした。学生時代の経験や就職活動、現在の仕事についてお話していただきました。


――日本在住10年目とのことですが、そもそもなぜ日本に興味を持つようになったのでしょうか。


黄さん:家族が日本を好きだったので、その影響が大きいです。小さい頃から日本の番組やジブリアニメを観て育ち、特にトトロが好きでした。母によると、5歳からずっと繰り返し観ていたそうです。

中学卒業後、高校進学まで3ヶ月間あったので、母に勧められて台湾にある日本語塾に通い始めました。これをきっかけに、日本語に魅力を感じて、高校入学後も毎週1時間の塾通いを3年間続けました。

私が入学した専門高等学校は、最初の3年間は普通の高校と同じように学び、残り2年間は大学のように専門知識を学ぶところでした。本来なら5年間通うのですが、私は所属していた観光学科にあまり興味がなかったので、高校を3年で中退して日本の大学に通うことに。そして、2010年9月末から日本にある日本語学校に通い始めました。

ここで1年半学んだ後、大学の留学生試験を受けて目白大学へ入学。私は日本語を教えられるようになりたかったので、どうしてもこの大学にある日本語日本語教育学科で学びたかったんです。当時、関東では目白大学と明海大学の2大学にしかこの学科はありませんでした。

▶大学時代にチューターをしていたサウジアラビア人の生徒たちと一緒に。


――大学入学当初から、「日本語を教えたい」という強い目的意識をお持ちだったのですね。


黄さん:人に何かを教えることも、日本語も大好きだったので、将来日本語教師になれたら面白そうと思っていました。最初は、大学卒業後は台湾に戻って日本語教師になろうと考えていたのですが、日本語学校のクラスメートたちの影響で、台湾人だけではなく、もっと色々な国の人に日本語を教えたいと思うようになりました。

クラスメートは12人いたのですが、とても多様性に溢れていて、国籍はロシア、フランス、スウェーデン、スイス、ドイツ、ミャンマー、インド、韓国、中国、台湾の10カ国で構成されていました。みんなとの共通言語が日本語しかなかったので、変な日本語で話していても誰も気にせず、とても楽しかったですね。

大学入学後は、1年生の後期から、大学内にある日本語学校で初級クラスに通うベトナム人3人のチューターをしました。当時は少ししか日本語を話せなかったのに、今ではその3人のうち1人は日本で働けるほど日本語力が上達したんです。こういうことを知った時に、日本語教師としてのやりがいを感じます。


▶大学時代に開催した七夕祭にて。


日本語のチューター以外は、1年生から3年生まで学園祭実行委員会に所属していました。高校時代も生徒会に入っていてイベント運営が好きだったのと、学園祭は日本特有の文化なので面白そうだなと思ったのが理由です。スタッフは日本人ばかりで、最初の1年間は慣れるのに苦労しましたね。4年生になって実行委員会を辞めてからは、台湾の有名な大手牛肉麺店でアルバイトを始めました。ここで働いたら牛肉麺が食べられるなと思ったんです(笑)。


――大学卒業後は日本で働かれていますが、就職活動はどのようにされたのでしょうか?


黃さん:元々日本で働くことを考えていなかったのですが、大学4年生の時に、日本での一般的な新卒就職活動を一通り経験しました。履歴書を送ったり、合同説明会や面接会に参加したりしましたが、やりたいことがそこでは見つけられず。結局、内定はひとつももらえませんでした。

でも、ある時アルバイト先のイベントに台湾本社の社長が参加していて、私の働きぶりを見て「日本支社で日本語と中国語を話せるバイヤーを探しているから、うちで働かないか」と声をかけられました。バイヤーという仕事が自分にできるか不安だったのですが、1ヶ月ほど悩んだ末に、もう少し日本に残って頑張ろうと思い就職を決めました。


▶牛肉麺の会社では、イベント出店もした。


――実際に働かれてみていかがでしたか?


黃さん:入社してみると事務スタッフは私と会計しかおらず、バイヤー業務だけでなく、台湾から来た人の通訳や店舗のシステム管理もしていました。人数が少ない分、やりたいことをすぐに実行できたのは良かったのですが、その分自分ひとりで多くの仕事を抱えなければなりませんでした。

働き始めて1年半が経つ頃に、やはりチームで仕事をしたいと思うように。生徒会や学園祭運営委員会での活動が楽しかったのも、チームワークがあったからでした。日系企業はチームで働くところが多いので、私に向いているのではないかと思い、転職活動を開始しました。

第二新卒向けの合同説明会に参加したり、友達に仕事がないか聞いたりしていると、シェアハウスで知り合った台湾人の友人が働くハードウェア系の会社で、中国語、英語、日本語ができる人を探していて採用されたのです。通訳として入社したのですが、ハードウェアの勉強もゼロから始めて、ハードウェアの保守も任されるようになりました。

3年目となる現在は、通訳と翻訳以外にプロジェクトチームのリーダーも務めています。私を紹介してくれた友達が去年辞めたため、その流れで私がチームリーダーになりました。日本人、台湾人、中国人、韓国人、ミャンマー人の合計16人のチームですごくグローバルな職場です。社内での会話とメールは主に日本語ですが、それ以外は基本的に英語か中国語を使っています。


――1社目も2社目も、人の繋がりで仕事が決まったのですね。


そうですね。でも、2社目の転職活動中は、正直台湾に帰って日本語教師として働くか悩んだんです。それでも日本に残った理由は、永住権を取得したかったから。10年間滞在すれば永住権の申請ができるのですが、この時私は7年目でした。もし永住権を取得できたら、ビザを気にせずに日本に来ることができたり、台湾か日本で生活するかを選ぶことができたりします。この方が自分にとっての人生の選択肢が広がると思い、あと3年間は日本で頑張って働こうと決意。

また、当時私は24歳だったのですが、「永住権を取得してもまだ30歳手前だから、大丈夫」と自分に言い聞かせていました。30歳を過ぎると結婚や出産といった、自分だけでは決めきれない選択肢が増えてくるので、30歳までは自分のやりたいことを自由にやろうと考えていたのです。


▶在日外国人だけが使えるJR TOKYO Wide Passを使って旅行を楽しんでいる。これは3連休に友人と国営ひたち海浜公園や軽井沢などを旅行した時のもの。


――台湾人を始めとする外国人が日系企業で働く際に、どんなサポートがあると働きやすいでしょうか。


黃さん:他の人からもよく聞くのですが、自分の日本語能力が足りているかを不安に思っている外国人は意外と多いんです。だから、自分が書いた日本語の文章やメール内容が通じるかを心配しがちです。日本人は間違っていても「伝わればいい」という感じで言わない人が多いのですが、もし間違えていたら遠慮せずに教えてもらえた方が嬉しいですね。

他には、日本で仕事を始めた外国人が一番怖いと言うのが、電話対応です。電話は相手の表情が見えない上に、電話で話している時のスピードって結構早くて、わからなくても聞き返すタイミングを掴みにくいんです。日本人の新卒にとっても電話対応の大変さはあるかもしれませんが、外国人だとなおさら難しいですね。私も一社目の会社で電話対応をする人がいなかったため、そこでかなり訓練されて今に至ります。


――最後に、今後新たに挑戦してみたいことや将来の目標について教えて下さい。


黃さん:日本での永住権取得と、日本語教師として働くことが次の目標です。その後は、もう少し日本語の勉強をするために、日本の大学院に入学したいと考えています。たとえ失敗しても、違う方向でやればいいだけなので、夢を掴むために、チャンスがあれば恐れずに挑戦していきたいと思います。


【プロフィール】

黄 千桂(Rita)

1991年生まれ。台湾・桃園出身。台湾の高校卒業後、2010年9月に来日。2012年4月に日本の大学に進学。今年で滞在歴10年目となる。留学当初は、大学卒業後は台湾に戻って日本語教師になるつもりだったが、もっと日本のことを知るために日本で就職する。現在は2社目。2018年に「Work life in Japan」の仲間と出会い、日本と台湾の架け橋になるべく、現在はサイト内の中国語記事の日本語翻訳を担当している。

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